1990~1999年
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90年、12月になって、約2年に及ぶ長期の撮影期間を経て、『欲望の翼』がクランクアップ。当初は二部作の予定だったが、完成したのは一部。披露試写会当日の上映開始時間がすぎても編集が間に合わず、試写中に上映が中断されるハプニングが起こったのは語り草になっている。同月15日に香港公開。興行的には、1千万香港ドルの興行収入で失敗といわれているが、ウォン・カーウァイのファン、あるいはレスリー・チャンのファンの間では、恐らく最も人気の高い作品だ。また、批評家筋には絶賛されている『欲望の翼』は、公開翌年の91年に、台湾金馬奨で、監督賞・助演女優賞・編集賞など5部門で受賞。4月には、香港金像奨でグランプリを受賞しただけでなく、監督賞・主演男優賞など5部門を受賞。
興行的には失敗したものの、批評家やファンを魅了した『欲望の翼』をステップに、92年の夏にジェフ・ラウとともに、ジェット・トーン・プロを設立。同年10月には、香港9大スターが共演する『楽園の瑕』の撮影がクランクインした。しかし、出演者のスケジュール調整が困難なうえ、初挑戦の武侠アクションの演出にも手こずり、撮影は難航した。やがて予算が底をついたこともあり、数度にわたって製作が中断した。
この作品は、翌93年2月の旧正月での公開予定に間に合わず、急遽、ジェフ・ラウが同じ9人の出演者を集め『新射雕英雄傳之東成西就』(大英雄)を撮影し、公開。これが大ヒットとなったが、『楽園の瑕』では、ジョイ・ウォンとヴェロニカ・イップが降板し、代わりにチャーリー・ヤンが起用され、ストーリー、役柄など、映画構成の改変に拍車がかかった。
この作品がクランクアップしたのは、94年2月のことで、クランクインから実に1年4ヶ月を経ていた。さらに、仕上げ作業が遅れ、カンヌ国際映画祭の開幕に間に合わず出品を取りやめた。同月、公開を待たずに『恋する惑星』の撮影が、数ショットだけ行なわれる。翌々月の4月、『恋する惑星』が本格的にクランクインし、『楽園の瑕』の長丁場とは逆に、重慶マンションや香港市街を舞台に、夜間を中心とした短時間のゲリラ撮影が繰り返された。
同94年7月、『楽園の瑕』に先がけて、『恋する惑星』が香港で公開される。全体的なストーリーを強調せず、瞬間的な場面をクローズアップする斬新な手法が話題をよんだ。この余勢をかって、未公開のままだった『楽園の瑕』のポストプロダクション作業を再開。モノローグだけを一部録音し直してもらうようレスリー・チャンにお願いし、ようやく完成を迎えた。同94年9月、カンヌ映画祭の代わりとして選ばれたヴェネチア国際映画作へ『楽園の瑕』を出品。金のオゼッラ賞(芸術貢献賞)を受賞した。同月17日に香港で公開。興行は惨敗で、興行収入の1000万香港ドルに対し、製作費は3500万香港ドル、ないしは7500万香港ドルなどといわれている。内容が難しいという理由で、各地の劇場で多数の観客が激怒・退場したのは有名なエピソード。なお、この年、長男が誕生している。
翌95年、『恋する惑星』が、台湾金馬賞で主演男優賞(トニー・レオン)を受賞。4月の香港金像賞ではグランプリをはじめ、監督賞・主演男優賞・編集賞を受賞。1月にニューヨークで特別上映されたのをはじめ、パリで3月、ロサンゼルスで6月(特別上映)と、この作品は各地で公開され、大きな反響を呼んだ。また、97年、『ブエノスアイレス』で、カンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞。99年には、『花様年華』と『2046』の撮影が開始された。
