祖母の面影

2000年頃に放映されていた『昔の男』というドラマは、大学時代の恋人だった藤原紀香と大沢たかおが社会人になって再会し、周囲の反対や妨害を押し切って逢瀬するという話だった。私は大学生の頃、まったくといっていいほど同級生と交友関係を持たなかったため、同窓と恋愛をするといった感覚や、同級生との切れた関係の修復には、どのような心理が働いているのかはよく分からない。サークルの延長上に友情があるのは理解できるのだが、恋愛が位置するというのがどうやら理解に苦しむようだ。しかし、二人の出会いの設定がどうであれ、恋人との切れた関係を切れたまま心のなかで引きずるということは、分からなくもない。

昔から人は自分の秘密を木の中に埋めようとしてきた。私の父方祖母は、明治生まれの厳しい女性だった。良家の出ということで女学校までは行ったが、大学は出ていない。小学生の頃、友達の家に行くと行ってランドセルを放り投げ玄関を出ようとした私に、「これしんいち、宿題先に済ましてからいき」と、物静かに、だが音の一つ一つを私に貼り付けるように、祖母は言ったものだ。裁縫や本読みをする祖母の傍らで、時折彼女の顔を眺めたりしながら、私は苦手な算数などをしたものだ。そして友達と遊んで帰ってからは、翌日提出することになっているはずの算数ノートが真っ赤っかになっている。祖母がご丁寧に赤鉛筆で計算ミスを修正しているのだ。そのノートを翌日に先生が目を通すであろうことは、祖母にとっては、どうでもよかったようだ。

それはともかく、その祖母の夫、つまり私の父方祖父は、実家からあてがわれた大阪市福島区にあった裁縫工場をまともに転がさず、日ぐらし将棋と競輪ばかりしており、やがて妻と離婚する。それから、私の祖母は元夫から一切の援助を受けずに、女手一つで四人の子供を育てた。奈良県内を本の行商で回り続けたそうだ。ときおり、西成の天下茶屋で昆布屋をしている弟に子供を二人ずつ預け、代わりばんこに四人のうち二人ずつを育てたらしい。祖母は、私が小学生の頃から、博奕はするなと耳にタコができるまで言い続けてきたが、その小言の背後には必ず、「あんな奴になったらアカン」という、私が一度もみたことのない祖父への憎しみが籠もっていた。このような、戦前から終戦直後という暗い時期のイメージも重なった祖母の面影は、私が小学生の高学年だったある日を境に、以前にもまして強烈なものへとジャンプした。

埋めた者の意気地が弱まったとき、埋めたはずの秘密が木の幹から顔を覗かせる。ある日、私が帰宅したときに、祖母は玄関の電話口に立っていた。我が目を疑ったのは、その祖母が電話口に立ったまま、歯を食いしばりながらも涙を溢れさせていたことだ。精神的にはともかくも、肉体的には直立が厳しくなりつつあった祖母の年齢を反映して、やや猫背ぎみだったその背中を、私ははじめて「弱さ」において眺めた。このとき、零れるはずの涙が、猫背が災いして「落ちていた」という感覚は、今でも私の脳裏に刻まれている。祖母が泣いている姿を、私はは生まれて初めて「見た」。正直な気持ちとしては「見させられた」。祖母の姿はその日のぼくの頭を支配した。普段から自分よりも強く毅然とした態度を取っている人間が弱くなっている姿というのは、どうも対応に困る。いつも先生に怒られて泣いている私を慰めてくれたのは祖母だ。しかし、今度はその祖母が泣いている。しかも、したたり落ちている涙を拭う手からも、さらに涙が溢れ出ている・・・。

ぼくは何もなかったようにランドセルを放り出し、いつも祖母のいる部屋で横に寝そべって、祖母が電話を終わるのをひたすら待った。小一時間が経ち、祖母が電話を切った。部屋に入り、祖母は、凛々しい顔に戻って、次のように言った。

「しんちゃんのみたことのないおじいちゃんが死んだ。」
「あの、かずとし?」
「そう」

その晩、「かずとし」の死を帰宅して聞いた父は(おそらく)涙を堪えて、祖母に言った。

「泣くな。おまえを捨てた男や。」

太平洋戦争が終わってから、戦争未亡人とよばれる、女手一つで子供を育てた女性たちは、ほとんどが明治か大正生まれだ。明治40年生まれの祖母もまた、離婚した時期が終戦後まもなくという頃だった。だから、祖母一人がとくに苦労したわけではない。同時期に苦労した女性の数が最大にのぼるのは、おそらく明治以降の日本では、太平洋戦争終戦直後だけだ。ただ、戦争未亡人と一つ違いがあるとすれば、祖母は未亡人ではなかったということだ。

秘密の解放は人それぞれだ。私の父、すなわち祖母にとっては息子の言葉に俯いて涙を堪える祖母を盗み見しながら、私は、この日の祖母の弱さを、私には計り知れない強さに裏打ちされたものだと確信した。しかし、それは、もはや私ではどうしようもない事態だったということも認めざるをえなかった。たまに過ぎったり、思い出したりしてきたはずの元夫を心に生かしながら、それでいて死んだも同然のように振る舞いつづけてきたことは、祖母の涙からしか知ることのできないもの。それは私の入りうる領域ではなかった。

女が泣くことが結界なのではなく、女が泣けば泣くほど私には関係のないこと、既に物語が私の生まれる数十年前に始まっており、私の伺い知れない、しかも祖母の心の中だけで今もまだ続いていたこと、この距離自体が強烈な結界となって、私は何もなかったかのように食事をし、自分の部屋に戻っていった。