1980年〜
80年に香港理工学院を卒業し、香港のTV局、TVBへ入社。フィルム班の製作スタッフを担当した。そこでは、1年間ほど、無線テレビ第一期育成訓練クラスの監督養成コースで学び、その後の半年間、実習を受けたが、フィルム班の製作が中止になり、映画界へ転身を決意。後、脚本家・助監督・製作助手を務める。
82年、脚本家として『彩雲曲』で映画界にデビュー。その後、フランキー・チャンの主演作や、チョウ・ユンファ主演の『江湖龍虎門』(マカオ極道ブルース)(87)など、十数本の脚本を手がけた(ノークレジット作品も多数)。
87年、尊敬する映画作家パトリック・タムの監督作『最後勝利』の脚本を担当。この作品は、翌88年の4月に香港金像奨脚本賞にノミネートされている。以後、友人ジェフ・ラウと一緒に、アラン・タンが設立した製作会社イン・ギア・フィルムの契約脚本家となる。ジェフ・ラウの監督デビュー作『猛鬼差館』(バンパイア・コップ)に、脚本家・執行監製として協力。この関係は続編にも引き継がれた。
88年、アラン・タンのオファーを受け、アンディ・ラウ主演の『いますぐ抱きしめたい』で映画監督デビュー。同年6月に香港を先がけに公開。このデビュー作は、翌89年に香港金像奨で助演男優賞・美術賞を受賞。また、同89年、カンヌ国際映画祭(批評家週間)に出品し、カメラドール(新人監督賞)にノミネートされている。これを機に「恐ろしき子供」として脚光を浴びる。同年、香港6大俳優を共演させた『欲望の翼』がクランクイン。以後、都会をターゲットにした恋愛映画やヴァイオレンス作品を中心に、ロード・ムービー・スピリットと現場主義による斬新な映画手法を積極的に展開した。

